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3月27日

伊勢新聞さんに、親父と一緒に、掲載されましたのでUPさせて頂きます^^
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 温暖多雨な三重県紀南地方(熊野市、御浜町、紀宝町)は、明治35年ごろから蜜柑栽培がさかんになったと伝わる。戦後から急速に三重県紀南地方で生産を増やし、昭和54年には、2万8700トンの出荷を記録したが、生産過多から、減産に転じて平成18年には1万1900トンに。(農業水産省「青果物出荷統計調査」)農家の数も減少し、高齢化と深刻な後継者不足に悩んでいる。

 紀宝町から、御浜町にわたり約4ヘクタールの農場を有する「石本果樹園」は、三重県紀南地方で三代続くみかん農家。現在は二代目の石本富男さん(64)と三代目の石本慶紀さん(21)が共同で営む。国道42号沿いに「石本みかん店」を構え、自主販売を主としている。「昔なら(温州)みかんが20キロで売れたが、今はそんなにまとめて買う人は珍しくなった」と慶紀さん。家族全員が同じみかんを食べる時代から、季節ごとの品目を少しずつ食べる習慣に変化した。需要を常に把握できるのは自販農家の強みだ。

 先代の金吉さんから三重県紀南地方の農園を受け継いだ富男さんは、戦後に横行した「青田買い」で、熟す前のミカンを商人に買い叩かれる現状を打開するために、妻と販売店を立ち上げた。平成元年ごろには地域で初のハウスミカン栽培に独学で取り組み、成功。平成二年の台風十九号でハウスが潰れる被害にあったが、奇遇にもこの時、常連客から見舞いで大量の菓子パンが届いたことが当時中学生だった慶紀さんの胸を打ち、家業への志を芽生えさせた。

 慶紀さんは紀南高校卒業後、三重県松阪市の県農業大学校に二年間学び、大分県国東町の常緑果樹試験所にて一年間の研究生活を過ごした後、二十二歳で家業を始めた。仕事に慣れるにつれて徐々に品目を増やし、月ごとに主力商品を設けて客を飽きさせなず、売り上げを安定させた。中でも異質で注目を浴びたのが、一昨年前に販売を開始した「アテモヤ」である。あてもやは緑色の皮に白い果肉が詰まった南国産の甘い果実で、「森のアイスクリーム」と呼ばれる。栽培は全国でも珍しく県内では初の実績。慶紀さんは大学在学中にこの果実に、三重県紀南果樹試験所(かんきつセンター)に出会い、富男さんに紹介した。かつてハウスミカンを開拓した富男さんは、「アテモヤの栽培は難しい。それでも本人のためにやらせた。私のひいた路線を走りながら、自分の視線をひいてみろ」と息子に預けて試練をあたえた。慶紀さんはこれに応えて栽培に成功し、三年後に販売を始めた。前例が無いため手間やトラブルがつきまとうが、「それが、ZEROからつくると言うこと。苦労はすべて、学ぶ喜びとなってます」と前向きだ。栽培されたアテモヤはすぐに「鉄腕ダッシュ」のソーラーカーだんきちのコーナーや、格情報番組、新聞で紹介され、注文が相次ぎ新たな顧客を開拓した。

 自身がうまくいく一方で、三重県紀南地方の産地全体の高齢化や後継者不足はみすごせない。だからと言って同世代に「農業やりなYO」と気軽には声をかけられない。厳しい中だからこそ、「何かを作り出す強い気持ちがないと、一生つづけらない仕事だから」という。それを承知した地元の後輩が、最近、大阪での会社勤め辞めてビニールハウスの一角で珈琲栽培の研究をはじめた。慶紀さんはこれを見守りつつ、インターンシップの学生の募集、またグリーン・ツーリズムのインストラクターの資格を取り、地域の活性化に新たな動きを提案している。慶紀さんは自身の商品に「農業って、衰退してるばかりでなく、がんばってる仲間!元気やで~ そして、食べてくれるみんなに幸せを」とメッセージ込めて全国に発送しているそうだ。

 「石本みかん店」は日曜定休。問い合わせは同店=0735-32-1403

       (伊勢新聞、当世跡継ぎ事情より引用、一部本文と異なります)



鼻谷記者さま!素敵な紹介記事!ありがとうございました^^!
スタッフを代表して、御礼申し上げます。    
                                石本果樹園 石本慶紀
by mikan523 | 2009-03-28 11:09 | 告知・広告・報道・掲載
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みかん畑の様子や、 販売店での最新情報、 イベント情報、アテモヤの情報等  わたくし「石本慶紀」&果樹園ファーマーズが、毎日UPしています! ご意見等、どいらい!くださいワン^0^
by mikan523
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